あまり知られていない話・ちょっと意外な話・昔の話・最近の話、等々、いろいろな情報を随時掲載していきます。

FrontPage

このサイトについて

傘鉾パート2 (うんちく&雑記帖) は、さまざまなジャンルの情報その他をアトランダムにまとめた 雑記帖サイト です。

薀蓄 (うんちく) 話や体験談(回顧録)、写真・エッセー・フィクション・紀行文・釣り情報、等を逐次掲載します。
※ただし、昨今 更新は不定期です。

偶然このサイトを訪れた方や 「傘鉾」 というキーワードでこのサイトに辿り着いた方にはお気の毒ですが、このサイトは 「傘鉾そのもの」 についてのサイトではありません。

とはいえ、「一期一会」 「他生の縁」 と思って、少しだけ寄り道して行ってください。



秩父夜祭の「笠鉾」

現在私は千葉県民ですが、本籍地は秩父市で今でも秩父とは何かと縁があります。
また、秩父といえば「秩父夜祭」が有名ですが、秩父夜祭といえば 笠鉾!というわけです。

都合、ほんの少しだけ 秩父夜祭の笠鉾 について触れておきます。


1983.12.3秩父神社境内にて

写真は、1983年12月3日に秩父神社の境内に飾られた、勇壮、かつ、雅な 笠鉾(実は花笠) です。写真中央の下の方に小さく写っているのが若かりし頃の私ですが、この笠鉾がいかに巨大なものか、おおよそお分かりいただけると思います。
※古い写真なので見づらいのはご勘弁願います

なお、写真の笠鉾は、地元の人によると「20年に一度しか飾られない貴重なもの」なのだそうです。つまり、この次に一般公開されるのは13年後の2023年ということになります。
でも、その昔私にそう教えてくれた(当時屋台に乗っていた)人は数年に渡り入院していたのですが、過日薬石の効なく亡くなってしまったため、真偽のほどは不明です…。

実は、つい最近まで私は「笠鉾は単なる飾り」だと思っていました。また、夜祭の日に曳き回される山車6基はすべて「屋台」だと思い込んでいました。

しかし、6基のうち4基が屋台であり、残りの2基は笠鉾だということ、そして、もともとはその笠鉾の上に、巨大な「花笠」を乗せて曳き回していたこと、しかし大正時代に秩父市中に架線が引かれ、巨大な花笠を乗せたままでは曳き回せなくなったため、それ以降は屋台の姿で曳いていること、などなどいろんなことが判りました。

つまり、私が今までずっと「笠鉾」と思い込んでいたのは、笠鉾の上の「花笠」だったというわけです。
※ 「花笠」の実物をご覧になりたい方は「秩父まつり会館(秩父鉄道秩父駅そば、秩父神社隣り)」を覗いてみてください。


サイト名「傘鉾パート2」の由来について

ところで、なぜサイト名が 笠鉾… ではなく 傘鉾… なのかというと…、
ひと昔まえの話ですが、私の母親が市内に小料理店をオープンするにあたり、お店の名前を決めなきゃということになり、家族で相談しました。

そのとき私は 「秩父夜祭にちなんで かさほこ にしたらどうだろう?」 と提案して 「そりゃいいねえ、かさほこ に決めよう」 ということになったのです。

しかし、かさ の漢字を 「笠」 にするか 「傘」 にするかで 家族で意見が分かれました。正しくは、笠鉾 なのです。

でも、結局 「傘」 の文字で行こうということになり、お店の名前は 小料理「傘鉾」 に決まりました。

その後、秩父の親戚からは「傘ではなく笠だろう??」と訝られたりもしましたが、それは承知のうえでのことでした。

そんな 小料理「傘鉾」は、JRの駅から歩いて5分くらいの、市内の繁華街の一角にありました。ただ、繁華街の一等地とはいえ非常に小さな店舗で駐車場もありませんでした。

でも、そんな小さなお店でも 小料理「傘鉾」はいつも母親が元気に働いている処であり、また、ふだんバラバラに暮らしている家族(妹、弟、姪)たちが、三々五々(親に)顔を見せに集まってくる 家族の拠り処 でもあったのです。

小料理「傘鉾」は、都合近くに駐車場を借りたりして 一時期そこそこ繁盛はしたものの、如何せん店内はわずか6人掛けのカウンターしかないような造りで、せっかく来てくれたお客が入店できず、あえなく帰ってしまうことも多々ありました。

しぱらくはそんな状況下でお店を営んでいましたが、やがて、もう少し広めの駐車場付きの店舗に移ろうと考えるようになり、惜しまれつつもひとまず小料理「傘鉾」は閉店することにしたのです…。

その後少しして、駐車場完備の割と広めの貸店舗を見つけることができましたが、そこは駐車場がある代わりに郊外の辺鄙な場所で、駅からクルマで10分もかかるようなところでした。

例によって私は、お店の名前を 「傘鉾パート2」 にでもしたら? と提案しましたが、そのときあらためて「傘」ではなく「笠」とすべきだろう? という物議が醸され、結局は姪の名前をもらうことでお店の名前が決まったのです。

しかし、新天地となるはずだった新しいお店には いばらの道 が待っていました…。

すなわち、小さな店からゆったりとした広さの店に替わり、駐車場完備となった代わりに駅や繁華街からは遠くなってしまいました。

果たして、かつての地場の常連客たちの足は遠のき、駅帰り途中の流しの客の飛び込みもほとんどなくなってしまい、客数は減る一方でした。

また、新装開店してみて判ったのですが、両隣りには、古株のかなり胡散くさいぼったくりスナックと、客層の悪い居酒屋とが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していました。
やはりあとで判ったことですが、両隣の店に何組かの客を取られていたようです。

さらに、それ(客数低下)に追い討ちをかけたのが 道交法の改悪? でした。つまり、タクシーや運転代行を頼む余裕のない客は来るはずもありません。

詰まるところ、時世の流れには抗いきれず、やむなく新店舗はわずか2年足らずで閉店するに至ったのです。


そんな経緯があって、私はサイトをリニュアルするにあたり、かつての 小料理「傘鉾」 への愛惜の思いから、このサイト名を 「傘鉾パート2」 としたのです。

【2011年5月14日加筆改訂】





powered by Quick Homepage Maker 3.33
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最終更新のRSS  Valid XHTML 1.0 Transitional